新連載「古代エジプトの戦い」の第2弾は、ラメセス2世の跡を継いだメルエンプタハ王により残された石碑から、リビア・西アジアとの戦いの場面をお送りします。
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まずは、実際の碑文を見られる場所のご紹介です。
この石碑は、カイロ博物館の入り口正面に鎮座する、
アメンヘテプ3世とティイ王妃の巨大な座像の右奥に
展示されています。
博物館に入場して、そのまままっすぐ進み、数段の階段を下りて
中央ホールへ。
突き当りにアメンヘテプ3世とティイの巨大な像があります。
石碑があるのはそのすぐ裏、13号室になります。
訳文をご案内するのは、この石碑のヒエログリフ全28行のうち、
最初の2行と、中間の2行、そして26行目の中ほどから
最後までの部分です。
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次は中間の2行分で、メルエンプタハがエジプトに侵入してきたリビア人との戦いで勝利したことを詩文の形で表現しています。


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石碑の最後の部分には、メルエンプタハが打ち破った地名、民族名が記されていて、 その中に「イスラエル」の名が刻まれています。 これはエジプト史上最古の「イスラエル」という名の記述である故に、
この石碑は『イスラエル碑』とも呼ばれています。

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いかがでしたか、メルエンプタハ王のリビアとの戦いは?
私は個人的に、リビアの首長が夜中にこっそりと逃走を図ろうとしたところが気に入っています。
リビアの民は、古代エジプトの壁画にかかれるときも、頭に羽飾りを付けて描かれます。
きっとそれが権力の象徴だったのだと思います。でも、メルエンプタハ王の攻撃にあっては、羽飾りをつけるのも忘れて、はだしのままで、すたこらさっさと逃げ出した! かわいいです。
さらにこの石碑は、上記の解説にもあるように、「イスラエル」という名前が初めて出てきたものです。
これらの碑文の研究が進むまで、聖書にある、「モーゼを迫害した王」と「モーゼを追って海で溺死した王」はラメセス2世とメルエンプタハだったという説が一般でした。
モーゼを迫害した王は、巨大な建設作業にヘブライ人を奴隷としてこき使ったから、エジプト全土に巨大建築物を建てまくったラメセス2世が「迫害の王」そして、メルエンプタハのミイラからは塩分(?)が浮いて白く変色しているから、きっと彼がヘブライ人を紅海までまで追いかけて、モーゼは海を割り、海底を歩いて渡ったけれど、追ってきた「溺死の王」は溺れ死んだから、「迫害の王」はラメセス2世、「溺死の王」はメルエンプタハ。確かに信ぴょう性があります。
しかしこのメルエンプタハの「イスラエル碑」にはすでに「イスラエル」という地名(?)民族名(?)がメルエンプタハによって征服された西方の異民族として描かれています。ということは、モーゼの「出エジプト」はラメセス2世やメルエンプタハの時代より、さらに前の時代の出来事だったということになるわけなのです。「迫害の王」「溺死の王」は誰?
内容に誤りがあった場合、その責は小柳に帰します。
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