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 ヒエログリフ解読
(古代文字へのご招待)
(15)メギドの戦い(カルナック神殿第6塔門)を読む
 好評の古代戦記シリーズ、今回は「トトメス3世のメギドの戦い」をお届けします。

 メギドの戦いの碑文は、カルナック神殿の第6塔門を奥へ数歩入ったところの左側側面に見られます。その壁面上方に、大きなトトメス3世像(写真A)があり、碑文はその足元下に、縦書きでかなりの面積を占めて刻まれています(写真B) 写真Bの左から5行目が、下記解読の最初の部分と一致します。

 
写真A
 
写真B
 この戦いは、第18王朝のファラオ、トトメス3世の軍隊とシリア・パレスチナ地方の都市国家
カデシュの領主が率いる軍隊との間で行われた戦いで、メギドの町は7か月の攻囲の末に陥落し、
エジプト軍の勝利に終わりました。

 のちに「古代エジプトのナポレオン」と言われたトトメス3世のこの戦い方は、
後世のナポレオン皇帝が自らの戦略論の参考にしたとも言われているそうです。

 下記解読は、この碑文の18行目から60行目までの部分です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 トトメス3世といえば、残された彫像から端正な顔立ちと、それに似つかわしくない義母ハトシェプストとの確執が思い出されます。

 前王トトメス2世とその側室アセト(イシス)の間に生まれた王子トトメスは、トトメス2世と正室ハトシェプストとの間に生まれた王女ネフェルウラーと結婚することにより王位につきましたが、トトメス3世が幼少だったため、義母のハトシェプストが最初は摂政として国の政治をつかさどり、その後、自らが王権を主張し、男装して王として実権を握りました。

 トトメス3世は、アジア方面の要塞に追いやられ、実権を義母に握られたまま、治世22年まで共同統治者とされました。しかしハトシェプストが死亡または失脚した治世22年目にやっと単独の王権を取り戻し、国民の信頼も得て、翌年から17回に及ぶ軍事遠征を行います。その第1回目の遠征が、治世23年に行われたこの「メギドの戦い」です。

 アジアの要塞で、軍人として長い時を送ったトトメス3世は、遠征において勝利を重ね、どんどんエジプトの支配地を広げていきます。外国からの朝貢の品や、貿易品の数々は、エジプト経済を潤しました。また、数々の戦いを勝ち取った王は、勝利を国家神であるアメン神のお蔭とし、神殿を増築しました。カルナック神殿の奥にあるトトメス3世祝祭殿は、柱や天井の一部に彩色が残る保存状態の良い建物です。

 アジアやシリアからの珍しい動物や植物は、祝祭殿の裏側に「トトメス3世の植物園」と呼ばれる浮彫で表されています。

 誤りがあった場合には、その責は小柳に帰します。