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ヒエログリフ解読
(古代文字へのご招待) |
(16)ピアンキの戦勝記を読む
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今回は「ピアンキの戦勝記」をお届けします。
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これはヌビアで王国を築いていたピアンキが、当時(紀元前710年ごろ) 四分五裂の下エジプトに侵入したリビア人テフナクトに対抗して戦い、 エジプト全土の再統一に成功し、王権を確立した記録である。 古代エジプト第25王朝(末期王朝時代)は、このピアンキから始まる。 全文152行の長文で、巨大なステラの四面にびっしりと刻まれている。
今回解読したのはその正面(34行)中、○印の行である。
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すでに見てきたように、ピアンキはリビア人テフナクトを頭とする侵入軍排除のために、ヌビアの地からナイル川を航行して北征に向かった。その時、この碑に記載されている先遣隊の弓兵隊長プレアムと歩兵隊長ラメルセケニの目覚ましい活躍については、小説「ブラック・ファラオ」(クリスチャン・ジャック著、吉村作治監修、山田浩之訳、青山出版社)に詳細がある。
ピアンキは、北征の途中であるにもかかわらず、テーベ(ルクソール)に長期間留まって、アメン神を讃える盛大なオペト祭を執り行っていること(碑文25行目以降)に注目したい。
おそらくこの時ほど大規模なオペト祭は久しぶりであり、これによってピアンキは、自分がアメン神に認められ、神の身代わりである正式なエジプトのファラオであること、従って、彼の軍隊と北征の正当性を主張したものである、と考えられる。
また彼の出身地(ヌビア)が、せいぜい奴隷や兵士、そして、鉱物の供給地で文化に送れた地であるとみなされてきたことに対する彼のイメージチェンジ政策でもあった、と考えられる。
この結果、「ピアンキこそエジプトの真のファラオである」との認識が定着し、多くのエジプト人がピアンキを自然に受け入れた。と同時に、敵陣ではピアンキの姿が接近してくるのを見ただけで、城を開門して降伏したのであった。
ここに「王は神なり」という古代エジプトの伝統的な王権思想が認められる。(K.N)
内容に誤りがあった場合、その責は小柳に帰します。
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